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日本のかつての農業は「自然との共生」だった・・・畦のカエルやトンボたちとともに暮らし、季節の移ろいを肌で感じ、自然の恵みを享受してきた。 こんな自然とともに生きる里山の暮らしが、豊かな人間性にあふれているとして、里山の再生をしたり、里山の暮らしを体験してもらう体験観光が各地で様々に取り組まれている。上勝の棚田で遊ぶかかしの子供たち↑ それは「産業観光」としての側面もあり、これからの観光として歓迎されることだ。・・・美郷でのソバ狩り体験↑ しかしながら、感動しているだけでは現実の心豊かな社会は築かれない。 「観光」としてだけではなく、それが具体的な「農業生産モデル」として日本に定着させる必要があると感じている。 【食糧自給率の問題】 小麦の価格が大幅に上がった。輸入価格は昨年1年でほぼ倍になったらしい。うどんやパスタ、食パン類が相次いで値上げされている。 これは単身赴任のデオッちにとっても生活に直結する大問題だ。 日本の食生活は、輸入に依存している。つい最近まで食糧自給率の低下に危機感を抱く人は多くなかった。工業製品の輸出で稼いだ外貨で食糧を買えばいいと楽観的に考える人は多い。 アメリカやフランス、オーストラリアなどの農業大国は、自給率100%以上で、自国民の食糧を賄う以上の農産物を生産し輸出している。ドイツは100%を切っているが自給率は上昇している。かつては自給率が日本より低かった時代があるイギリスでさえ70%を維持している。日本の食糧自給率39%という数字は、「異常値」だと言わざるを得ない。 バターなどの油脂、乳製品、肉類などの消費量も格段に増え、僅か何十年で国民の食生活がガラリと変わった日本のような国は非常に珍しいだろう。食の「欧米かっ?(化)」は、「豊かな食生活」だと多くの国民に好意的に理解されているようだ。食生活の豊かさという価値感、基準、栄養学的な判断は人により違うが、欧米化を甘受し、それを良しとしてきたことが今日の食料自給率低下の根本的な原因なのかも知れない。 【食糧管理制度は何を目指したのか?】 それにしても日本の食糧自給率は1960年は80%もあったのに、なんでここまで低くなるのだろう? 食の「欧米化」や生活の「都市化」の影響だけではないような気がする。 「米価の統制」という、現代ではあまり意味のない「食糧管理制度」がもうひとつの原因だったのではないだろうか? 日本人の食生活の劇的な変化はコメ離れと肉食へのシフトにある。 国民一人当たりのコメの年間消費量は、1965年に111.7kgあったものが2006年には61.0kgにまで減少している。 肉類は、9.2kgから28.0kgへと激増だ。 そういや、子供の頃は、肉と言えば、たま〜に作るジャガイモばかり入ってるカレーライスとか、魚屋で買うクジラの肉しか食べていなかったなぁ・・・。 日本人が米を食べなくなったのに米を作り続けた・・・この矛盾が根底に存在している。 米さえ生産していれば「米価の統制」で確実に元が取れるから、サラリーマンしながら米を作る。 ずぅ〜っっっと、この制度を続けていた政治の農業政策の問題なんだと思う。 政府が米の買取価格を保証しているから品質は二の次でもよく、結果、農産物の生産効率が低い米だけ生産する「兼業農家」が多くなり、米以外の農作物を生産しなくなった・・・。 転作しても米と違って市場価格では海外から輸入農産物に価格で勝てないし、そうなれば元が取れないから誰も作らない。 農家の個数は減少を続け、耕地面積も減少、食の欧米化に加えて自給率も余計に低下する。専業農家は2割に満たない・・・↑ 食の「欧米化」が必ずしも悪いことではないのだが、日本の農産物の輸入のために、外国の農地を使用していることになるが、国内の農地面積は、600万haから474万haに減少し、耕地利用率も94%で休耕田がいかに多いことか・・・この状況が良くないと思う。ちなみに、日本の国土面積に占める農地の割合は12.8%、アメリカ39.1%、EU39.1%だ。おまけに、農業従事者は年寄りばかりだ・・・。 小麦やとうもろこし、畜産用の飼料など、輸入している量に見合う作付面積を換算すると1,200万haとなり、日本の国内の農地面積の2.5倍にもなる。 我々は、国内と併せると1,700万haもの農地を必要とする食生活で暮らしていることになる。・・・しかも食糧の30%は食べられず「ゴミ」として廃棄している国なのである。 多くの日本人は、このことを当たり前のこととして危機感がない。 食べ物は金さえあれば、いつでもどこでも手に入ると思い込んでいる。 日本は、世界最大の食糧輸入国。WTO(世界貿易機関)の発表では、世界の食糧輸入額の12.3%は日本が占める。 食糧の輸入は、いくつかの前提の上で成り立っていることを忘れてはならないと思う。 その前提の一つは、外国から食料を買う金(外貨)が十分にあるということ・・・。 日本の経済は将来どうなるのか? いつまでも日本の経済が好調である保証はどこにもない。 食糧を輸入に依存しているという、大きなリスク管理の意識が日本にはない。 【世界の食糧事情に目を向けよう!】 世界は今、8億人の飢餓・栄養失調の人々がいる。一方で人口は爆発的に増え続けている。 経済格差が、飢餓・貧困の原因であることは言うまでもない。そのうえ、食糧生産の基盤である地球環境は急速に破壊されつつある。温暖化、砂漠化、土壌の劣化、水不足、汚染などだ。 中国やアフリカでは森林を伐採し農地を広げたために気候変動をもたらし、急速に砂漠化が進行している。 かつての牧畜型農耕文明(自然征服型農業)は、気候を変動させてしまい文明そのものが崩壊する繰り返しだった。それは歴史を見れば明らかなことだ。 豊かな食生活を求める日本の消費者のために、発展途上国は穀物や果樹や野菜を作り輸出する。 本来、その国に住む人々の食糧生産のための農地も、先進国の消費者のための食糧生産に使用しているのが現実の問題だ。 早い段階で高度成長を成し遂げた日本は、金にもの言わせ、食糧の生産のために海外の農地を利用し、自国の森林や農地を守ってきた。おかげで、緑覆率が70%もあって自然が豊かだ。 島国の日本では、温暖で湿潤な気候環境であるため世界的な気候の変化に気づきにくい。 ODAの政府開発援助で何億ドルの金額を援助するか・・・の前に、こうした現実を直視し、せめて食べられる食糧を廃棄するなどという理不尽な贅沢を続けてはならない。日本のODAは減り続けている・・・↑(2005年は数値にインド洋大津波の緊急支援が含まれている) 【世界の水事情】 砂漠化が進む国ですら、輸出する農作物の灌漑のために水を大量に使う。川の水は枯れ、井戸も枯れてしまう。飲み水ですら確保が困難になってしまう。 こういう多くの国々が直面する水の問題は、日本のように雨が多く、農業に適した気候風土に暮らす国民にとって、あまり深刻に受け止められない。 努力しないでも水の確保が比較的容易だからだ。(ま、香川県は別かも知れないが・・・)バーチャルウォーター(仮想水)という概念がある。 ロンドン大学のトニー・アレン教授が提唱した「食料の輸入は、その生産に必要な水資源を他の用途に転用可能である意味から、あたかも水の輸入と同じである」という考えで、世界に受け入れられつつある。 日常生活で我々は水を使用しているが、食料を生産するときも、たくさんの水が必要であり、その水の量のことを「バーチャルウォーター」と考える概念だ。 日本の食料の輸入量に必要なバーチャルウォーターの量を計算すると、640億立方メートル/年となるそうだ。ちなみに国内の年間灌漑用水使用量は580億立方メートル/年である。 つまり、国内の灌漑用水と同程度の水が、食料の輸入国で使われ、日本で使わずに済んでいることになる。食料を輸入するということは、膨大な量の水(バーチャルウォーター)を輸入していることでもある。 ・・・日本人は実は砂漠に住む民なのかも知れない。 日本は、農作物の生産のためには、水より農地に問題があるので、概念としてなかなか理解できない。水の大事さを国際的に認識したいものだ。 さらに、農産物を輸出することは、水だけでなく土を輸出するということにもなる。 土から採れるものは土に返す、これが物質循環の基本で、自然資源を衰退させない鉄則なのだが、現実には、農産物が遠距離を移動しゴミとして廃棄される。 ゴミは生産地の土から吸収した窒素を含み、窒素は消費地で排出され汚染する。 同時に、輸送・貯蔵のための化学物質の使用が、食の安全性を損なうばかりか、輸送や低温貯蔵のためのエネルギー使用量も莫大だ。 我々が輸入農産物を食べるということは、地球温暖化の要因を作っているのと同じことだ。 日本人が賞味期限が切れて捨てる「ゴミ」となった輸入食糧のすぐ横で、飢餓で死んでいく同じ地球に住む同胞たちがいる。 そのことに目を閉じ、知らん顔して、自分達の食の安全に関わる「毒入りギョーザ」の問題だけ騒ぎ立てるのはいかがなものか?「食の安全」の問題と同時に「食糧問題」も議論されてほしいものだ。バングラディシュのように、温暖化によるヒマラヤ氷河の融雪洪水に毎年襲われ、農産物が採れなくなり、食糧を輸入する経済力もない国だから、多くの子供たちが母親の腕の中でなすすべも無く死んでいく。 そんな飢餓に苦しむ多くの人々がいる現実の前で、中国の食品安全管理は許しがたい!・・・などと、そんなこと声を大にして言えますか? 経済発展している中国は、沿岸部の都市だけで、農村部へ行けばバングラディシュと同様、今なお貧困にあえぎ、教育も受けられず、家族を養うために豊かな都市へと流出する。 このような農村部からの出稼ぎの人々は当然、教育水準は高くないし、識字率も低く、読み書きができない人たちだ。いくら「食の安全」の通達を出しても、報道しても意味は通じない。日本社会の常識は世界の常識とはかけ離れている。広東省の「癌の村」は、人口約3000人だが、2005年10月から06年までに亡くなった17人中、8人の死因が「癌」だったという。村を流れる川の上流に鉱山があり、水は黄色く濁り汚染され、村人が政府に直訴しても問題は改善されない・・・そういう国なのである。 我々の贅沢な食生活のために農地を使われ、国の気候まで変わってしまい、飢えれば援助だと金をばら撒き、再び収量の上がる農業指導を行ない、援助の名のもとに、さらに農耕させる。・・・これが真の国際貢献なのか?発展途上国は国土も国民もボロボロにされてしまうのでは?・・・と心配する。 日本では、昔から地域ごとに独特の品種(地種)があった。 地域の自然が育てたものだ。農業技術も地域の気候風土で地域差が存在した。 地域の農業が、地域の食文化を育んだ。 調理方法、食べ方、保存方法など地域性があり、「農業」と「食生活」は、祭礼や行事など「文化」として地域に根付いたものだ。 近年の地球規模での市場経済は、グローバリゼーションという画一化が進行し、農業は巨大で効率化した「アメリカ型農業」がスタンダードになってしまった。 大規模農法は自然を征服する農法であり、長い歴史を振り返ると必ず文明を崩壊させている・・・現代では1つの都市文明の危機ではなく、地球の危機だ。 遺伝子組み換え作物の危険性を根拠もなく叫ぶ消費者団体のお母さんたちは、バイオ工学で作る全く同じ遺伝子ばかりのクローン培養された種苗で育てた野菜を、無農薬・有機栽培なら安全だと信じて疑わない。 生物学的に考えると、同じ遺伝子ばかりで多様性がないと、ちょっとした病気で簡単に絶滅してしまう。・・・このほうがリスクが大きい。しかし、爆発する人口の食糧を賄うには、このようなバイオ工学を使わざるをえない・・・既に食糧は世界の人々に平等に分ける生産量には程遠いのが・・・現実だ。 清潔だと勘違いして抗菌の食器で無菌の食材ばかり食べて、感染症にかかることもなく、結局は体内の微生物のバランスが崩れ免疫が低下し、本来何の害ももたらさない花粉に悩まされるのと同じこと。 何が人間にとって危険なことなのか、ちゃんと理解してないと、本当は危ない・・・のだ。 デオッちは、遺伝子組み換えなら何の問題もなく進んで食べる。 画一的に無菌の工場で栽培された「もやし」を食べるよりよっぽど危険性が少ない。 植物だって多様な遺伝情報を持つ、野生種に近いものの方が強いし、病気に対する抵抗力や免疫酵素も豊富だ。人参の野生種「野良人参」・・・↑ 田んぼや畑、里山、畦、水路に住む生物たちと「共生」し地域独特の伝統文化を再生する里山の農業や暮らしが、日本人の豊かな「生き方」として見直されている。 「地産地消」は、地域の経済を活性化させる。食糧の自給率の問題解決に役立つはずだ。米一辺倒の農業ではなく、いろいろな作物を地域の自然を生かして作る「環境創造型農業」が、それは実に楽しいことであり、「産業観光」や「体験観光」といった観光資源にも、地域の文化・伝統の継承も担う「農業モデル」だ。・・・樫原の棚田(上勝町)・・・↑ 棚田のオーナーを募り棚田を再生している。 そして、地域の再生と内需の拡大を図り、食糧自給率を向上させる、農業モデルを作り上げ、そのシステム、ノウハウのソフトを輸出する「環境ビジネス」を確立し次世代の主要な産業として構造改革していく・・・そんな産業構造の改革が必要ではないだろうか。 いつまでもアメリカの真似をしないで、環境先進国が多いヨーロッパの小国を見習うべきだ。 我々の豊かな食生活と食の安全は、8億の民の飢餓の犠牲の上に成り立っている。日本の食糧自給率の向上は、世界の人々の飢餓を救うための取り組みであると考えたい。 山里の農業体験を観光として開発していくのは、そんな意味もあるのだと日々取り組んでいる。 日本の農業のあり方をもう一度考えなおそう! お願い ランキングに参加中です。Please Push! ← |
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