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美郷は「蛍とその生息地」として地区全体が天然記念物だ。 今年の蛍の発生数は・・・スゴイ! どんなに頑張っても、デジカメでは蛍の撮影は難しいので、画像では紹介できないが・・・ こんな感じである↓(美郷ほたる館の展示から・・・) 今夜は、美郷で「ナイトウォーク」を実施。 13名のお客様とウォーキング。・・・夜警団のようだが、「ほたる館」を出発し、川田川の渓流を上流に約1km歩いた。 今が発生のピークのようで、川田川の渓流はまるで天の川のように光の川になっている。 3km以上にわたって光の帯が続く・・・この規模は他の地区ではないなぁ。 しかも、養殖も捕獲も禁止されている「天然記念物」だから、100%自然発生の蛍達だ。・・・デジカメで撮ると、こう。↑よ〜く見ると、ほら、たくさん光っている。 「誰? ゴミだと思って画面を拭いているのは〜?」 クリックして拡大してみて! う〜ん、解るかなぁ? 蛍は、灯りを持っている人に寄ってくる。 メスと勘違いしてよってくるんだけど、手のひらにとまったりする。 蛍の光は、黄緑色で「細く、淡く」光る。 自然環境保護の象徴のようなものである。 成虫は羽化してたった1週間の命だから、余計に儚い光に見えるんだろうね。 光でコミュニケーションするなんて神秘的でいいなぁ。 川のほとりでじぃ〜と見ていると、1か所に集まってきて、光の点滅がしだいに同調してくる。 産卵に適した木や岩場に集まってくるからだ。 木に集まってくれば、クリスマスツリーに見えてしまう。・・・クリスマスツリーの木(美瑛) 「蛍雪時代」という言葉がある。 貧しくとも、苦しくとも、夜の時間さえも惜しんで、蛍の光や雪明りさえ利用して勉学に勤しんだという歌詞で歌われる。 「ほた〜るのひか〜り窓のゆ〜き〜♪」 「明けてぞ今朝は別れゆ〜く〜♪」 卒業式や大晦日のテレビでおなじみの「別れの曲」である。 別れといっても、前向きな未来のある「別れ」なんだけど・・・ スコットランドの民謡であるこの曲は、もともとは別れの曲ではない。 サッカーファンなら、よく耳にするだろうが、スコットランドチームのスタンドで、サポーターが大合唱するこの曲は、まったく感じが違う・・・・・・エディンバラ城のミリタリータトゥ↑ 観客もいっしょに蛍の光の大合唱が起きる。 民族が団結し連帯を深め心を高ぶらせるミリタリーな曲だ。 共に勝利し共に進もう! ・・・という感じで力強く歌われる。 作詞者の日本語訳の意図は計り知れないが、どうも日本の歌曲は湿っぽいなぁ・・・ パチンコ屋もスーパーも本屋も閉店は「蛍の光」が圧倒的に多い。 淋しいというか悲しいというか、物悲しい・・・ 同じ曲でも解釈が微妙に違うところに民族性というか日本人の感性を感じる。 音階そのものではなく、音の「余韻」や「響き」にも美を求める・・・ 能楽の舞台などはわざわざ瓶の上に木の舞台を載せて響きを作る。 日本語だって、言葉、に表されないところに本当の意味があったりして・・・ 「なんしょんえ〜?」 と声えを掛けると、 「うぅ〜ん、なんもしょれへん」と返事が帰れば、「元気で何も不都合はない」という意味だし、 「う〜ん、ちょっとなぁ〜」と返事が帰れれば、「困っています」という意味が強い。 ・・・すみません。阿波弁だから解らないよね。 讃岐の言葉に翻訳すると・・・ 「なんがでっきょんなぁ〜」 「な〜んもしょ〜らんがぁ」 「いかァんがぁ〜」 ニュアアンスで会話する日本語は難しい。 「場」とか「空気」を読まなければならない高度なコミュニティーだ。 「幽玄の世界」などと表現されるが、 視覚として目に見えるもの、聴覚として耳に聞こえるもの以外の、別のものを見たり聞いたりできる能力があるんだろうなぁ・・・ 外国人に、これは理解できない東洋の「ミステリアス」だね。 表情のない能面から表情や感情を読み取れというのだから、 ・・・そんなの説明のしようがない。 【ウォークのあとはマクロビな夕食】 こういう蛍が棲めるキレイな環境で育てられた美郷の無農薬の農産物で作られた「マクロビオテック」の夕食をいただく。 玄米と雑穀のおにぎり、そば米雑炊、柿の葉のお茶、よもぎ団子。 動物性のタンパクを使用せず、雑炊の出汁も「しいたけ」で取る。 鶏肉の出汁に負けない濃厚な深みのある「旨味」が出ておいしい。 【感動をありがとう・・・】 夜のウォーキングは、去年に引き続いて今年で2年目。 いろいろなお客様がくる。 僅か1kmのウォーキングなら、「ハンデ」のある方でも参加できる、とパンフレットを読んでおられるのかな? 去年は車椅子の方の参加があり、いっしょに歩いた。 「自分でちゃんと動けますから、参加できますか?」 と電話があったので、 短い距離だから、「何とかなる」と思ってお引き受けした。 ほんとうに、嬉しそうに喜んでくださったのを覚えている。 今日も、変わった・・・というと失礼なのだが、普段のウォーキングではありえない方がいらっしゃった。 なんと、目の不自由な方の参加。 40歳くらいの息子さんが付き添って、70歳くらいの母親の手をひいている。 「母は全盲です。」 「母に、蛍を見せにきました。」 「えっ???」 ・・・見せにって、全盲でしょ。 私がちょっと不思議そうに返事に詰まっていると、彼女はこう言った。 「あの、カジカというキレイな泣き声のカエルを聞きにね、来たんですよぉ。」 なるほど、そりゃそうだろうなぁ、見えないものねぇ・・・と納得して、 「はぁ、そうですか。今は、たくさん鳴いていますよ。」 とご案内した。 ・・・後で気づいたが、それは彼女が私に気遣って言った言葉だった。 彼女はちゃんと、蛍を見ていた。 ほたる館の下の川原で、息子は彼女の手を握り、丁寧に丁寧に説明していた。 「5m先に川が左から右へ流れています。」 「幅は10m、その先に5mくらいの高さの深い緑色の木がたくさん並んで茂っています。」 「川の水は、月の光でときどき光っています。」 「木の真ん中から少し下に、蛍がたくさん光っています。」 「正面の木の下は30匹くらい光っています。」 「点いたり、消えたり・・・みんな揃って、点いたり、消えたり。」 その都度、息子の手は、彼女の手を、握って、離して、点滅のタイミングを知らせながら、 「光りました。・・・消えました。」 「一匹、こちらへ飛んできます。」 「揺れています、光が揺れています。」 他のお客様も、私も、しばらく彼の言葉に聞き入った。 彼の言葉は、彼女の目なんだと解った。 彼の手は、光の強弱や動きを現すセンサーなんだとも理解できた。 私達にも、その蛍が飛んでいる「情景」がはっきりと目に浮かんだ。 きっと彼女は見えている、心に蛍の光が映っているに違いない。 そこに居合わせた誰もがそう確信できた。 目で見るだけが、物を見ることではない。 僕らは、何を見てきたんだろう?・・・本当に見えていたんだろうか? 「私は一生、母のために親孝行したいんです。」 そう彼は、明るく話してくれた。 吉野町から来たこと、いろんなところへ彼女を連れていくこと、色々と話てくれた。 彼の説明する言葉を聴きながら、感動を覚えた。 人に見せるということは、こういうことなんだ。 彼女の穏やかな、そして満足そうな顔を見ると、心からの深い愛情に満ちているのが判る。 美郷の蛍を眺めながら思う。 「あれは、光る虫が飛んでいるのではない・・・心の灯火だ。」 今日は、数え切れないほどの数が見られた蛍たち。 その一匹一匹のやわらかな光は、彼女のために光っているんだと私には見えた。 「ここに、蛍マップの地図があります。」 私は、遠慮がちに彼女の手をとり、A4版のパンフレット上に誘った。 パンフレットの上から下へ手を動かし、 「こう、川が流れています。真ん中のこの辺が、今いる、ほたる館です。」 うまく説明できたとは思えないが、彼女は、 「ああ、この辺ですか」と応えてくれた。 彼女の手は、温かかった。 お願い ランキングに参加中です。Please Push! ←
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