唐人駄馬

四国の南西端・足摺岬の古代史ロマン「唐人駄馬」を知らない方が多いので紹介するね。
唐人とは異人(外国人)、駄馬とは広場のこと・・・
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古代の史跡(祭祀跡)であることは間違いないが歴史が古すぎてよく判っていない。
5000年程度昔の巨石群と世界最大とも言われるストーンサークルである。
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日本では縄文時代なので彼らの祭祀を司った場所なのか、彼らにとっての異人文化なのか?
いずれにせよ、あの時代にこのような巨石を運んだり造形する土木技術があったのだろうか?
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イースター島のモアイ像やイギリスのストーンヘンジを連想させる。
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足摺のストーンサークルの直径は世界最大規模である。
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何の目的で巨石を組んだのか?
石器や斧を作るのが精いっぱい?の縄文人にこのような巨石を運ぶ技術があるのか?
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あの時代に巨石を運び、組みたてる技術と言えばピラミッドを造営したエジプトぐらいのもの・・・
後の弥生人が居住や祭祀場としても使っていたらしく、史跡として保存されている。
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ただ、日本の古代にもこんなスゴイものがあったという事実。
なのに、あまり調査もされず、野ざらし状態。
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日本の国家の成立は大和朝廷からとされているけど・・・
その歴史観から見て、それより以前にこんな規模の造営ができる集団が存在するのは都合が悪いからか?
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・・・飛鳥の石舞台がこれだけどショボイ。

史跡は今は山の上の平原に位置するが、あの時代の海面はもっと高い。
・・・というより、足摺岬付近は隆起する海岸段丘の地形だから、かつては海岸線に近かった場所だ。
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ここに立って景色を眺めると、どうしても自然と海との関わりを感じる。
縄文人は実は海洋貿易を盛んに行っていた民族であることは三内丸山遺跡からも証明されている。

モアイ像のあるポリネシアやミクロネシアなどでは縄文土器も出土している。
太平洋を行き来していた海洋民族が縄文人のルーツなのかも知れない。
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神道より古い日本各地の民族信仰は、神が海に帰る祭りや風習が色濃く残っている。
神輿が海に入ったり、神の島へ捧げものを運んだり・・・

黒潮(日本海流)は、フィリピンの東方で北上しも南西諸島をすり抜け東シナ海へ入る。
奄美と種子島の間のトカラ海峡を通り、再び太平洋へ出て、初めて陸地にぶつかるところが足摺だ。
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海洋民族だった古代縄文人が南方から海路で日本へ到達したとしても不思議ではない。
それにしても、こんな大きなストーンサークルを何故作ったのか? 宇宙人とでも交信してたのかなぁ・・・
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足摺の観光情報はまた後日に紹介しましよう。
足摺岬の牧場、とか知らないでしょ!?
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おお、そうだ、すぐ隣が宮崎県だった!

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